近頃、街中でたまたま鏡に映った自分を見つけてびっくりすることがある。よく似た服を着たお婆ちゃんかと思ったら私だった(汗)。自分の思う私は、現実より10年ほど若い。骨格や目鼻口の位置は同じだから殆ど同じ。だけどちょっと違う。ハリツヤがない。経年劣化だ。仕方がない。こんな時「諦念(ていねん)」とひとり呟く。
諦念(ていねん)
※日本国語大辞典より
道理をわきまえて悟る心。また、あきらめの気持ち。断念。
諦念(ていねん)
※デジタル大辞泉より
1 道理を悟る心。真理を諦観する心。
2 あきらめの気持ち。
諦念(ていねん)
※スーパー大辞林より
道理を悟って迷わない心。また、あきらめの気持ち。
悔しいけどギブアップ!というのとは少し違う。執着しないで受容するニュアンスだ。迷わずに素直に諦めるとか、道理を悟って自らの意思で執着を手放す感じかな。
こういう場合、反対の意味(対義語)を調べると理解が深まる。対義語は、執念(しゅうねん)、迷妄(めいもう)など。迷妄(めいもう)は物事の道理を知らず、誤りを真実と思い込むこと(スーパー大辞林)。困った大人だな。その他、執着(しゅうちゃく)、拘泥(こうでい)、、色々見つかる。
英語の表現も気になったので我が家の和英辞典で探したが、載っていなかった。仕方がないのでスマホ検索。google翻訳によるとgiving upが出てきた。これはちょっと違うかも(苦笑)。検索を重ねると、いくつか上手い翻訳を見つけた。understanding and acceptance、spiritual awakening、feeling of resignation、このあたりがニュアンスを捉えているように思える。
諦念(ていねん)に似ている言葉で諦観(ていかん)というのもある。①全体を見通してことの本質を見極めること②悟り諦めること・超然とした態度をとること(スーパー大辞林)、ということらしい。仏教の世界では諦観(たいかん)とも言うが、とても良い言葉。黄昏世代には大切な心のありようだ。
では、現在の私はどうなの?お恥ずかしながら、未だ諦念と迷妄の間を行ったり来たりしている。昨日は無用な拘り(こだわり)を手放せたけど今日は執着しちゃったな、反省反省、、みたいな。もし意識せず「諦念」や「諦観」に至ることができたら、素晴らしい老婆になれそうだ。
自分のプロフィールアイコンを作ろうと思い、かわい子ちゃんを楽しく描いていたけれど、現実とはかなり違うと気付いた。特徴は捉えているけどお肌はツルツル。55歳といえばサザエさんのフネさん世代。ほうれい線を入れてもう少しフネさんに寄せるか否か・・。ま、アイコンだから真実と違っていても怒られないでしょう・・身内に笑われるだけだ。お肌ツルツルを採用!
ちなみにサザエさんの公式ホームページによると、磯野波平54歳、磯野フネ50ン歳、とのこと。フネさんの年齢ははっきりと設定されていないようだ。Webサイトの噂話によると、波平さんより少し年下でしょう、との見解だった。
2024年8月
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